江戸時代の上高地

岳沢からの上高地

江戸時代の上高地

上高地の開山が近づいてきています!

さて今回は、先日開催した「Discover Kamikochi~上高地を学ぶ~」講習会の内容を一部抜粋してお届けします。

テーマは江戸時代の上高地。

岳沢からの上高地

上高地が江戸時代、木を切り出す場所だったことは、このブログでも何度か触れています。

周辺には「入四カ村(いりよんかそん)」と呼ばれる四つの村があり、松本藩の御用杣(ごようぞま/杣はきこりのこと)たちが住んでいました。

 

ちなみに入四カ村は「大野田」「島々(しましま)」「稲核(いねこき)」「大野川」の四つ。後にこの四カ村が合わさって安曇村となり、今では松本市に合併されていますが、この四カ村の地名は今も使われています。

松本から上高地へ向かう途中のバス停の名前としても見ることができますので、お越しの際にはぜひ確認してみてください。

 

島々は、徳本(とくごう)峠へ向かう入り口として、登山者の方には馴染み深いかもしれません。

ここからバスで10分程離れた「新島々(しんしましま)」は、電車からバスへの乗り継ぎ駅になっています。面白い響きなので印象に残りますね。

カラマツ

江戸時代の末期、上高地には14ヶ所の杣小屋がありました。

ここを拠点に木を切って、切った木は当然、運び出さなければいけないわけですが……なんせ山の中、運び出すのも一苦労です。

使われたのは、梓川。

梓川

とはいえ激流です。

上高地はピンポイントで平坦なので穏やかな流れのイメージが強いですが、ちょっと下ると途端に急流になります。

釜ヶ淵堰堤

こちらは、登録有形文化財にもなっている釜ヶ淵堰堤(かまがふちえんてい)。大正池から2kmほど下流にあります(廃止された旧釜トンネルの脇にあり、通常は見ることができません)。

もちろん江戸時代にはなかったわけですが、急峻さの一端は伝わるのではないでしょうか?

 

こんな川を使って材木を運ぶというのは、想像を絶する作業です。木流しは毎年初冬に行い、途中で引き揚げて乾燥させたりしながら(そうしないと木が水を吸って沈んでしまうんだとか)一ヶ月以上もかけて松本まで下ろしたんだそうです。

 

明治に入って御用杣の制度はなくなり、上高地は徐々に山岳リゾートとしての道を歩み始めましたが、今でもあちこちの地名などにその頃の名残が残ります。

上高地内の沢の名前などは、杣の名前が付けられているものが多いので、登山地図などを見る機会がありましたらぜひ探してみて下さい。

こうしたお話にご興味のある方は、我々のガイドウォークへのご参加もお待ちしています!

 

さくら

 

上高地の交通機関開通まであと28日

 

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